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国際シンポジウム「つくばグローバルサイエンスウィーク2014」(9月28日開催)への参加

掲載日: 
2014/8/25 17:28

 このたび人文社会系では、哲学、倫理、宗教を専門とする教員が中心となって、ハーバード大学とハンブルク大学から仏教学の著名研究者を招聘しつつ、国際シンポジウム「つくばグローバルサイエンスウィーク2014」に参加、「東西哲学における修行」を主題としたセッションを開催します。(なお、使用言語は英語であり、通訳はありません。)

○開催日時:2014年9月28日(日)、13時30から17時50分まで
○会場:筑波大学大学会館第三会議室
○参加方法:無料。「つくばグローバルサイエンスウィーク2014」の公式ホームページから登録。
○趣旨:
 フランスを代表する西洋古代哲学史家ピエール・アドは、その主著Philosophy as a Way of Lifeのなかで、古代哲学の社会的機能と近代哲学のそれを明確に対比させつつ、次のように述べている。

‘Ancient philosophy proposed to mankind an art of living. By contrast, modern philosophy appears above all as the construction of a technical jargon reserved for specialists.’ (Pierre Hadot, Philosophy as a Way of Life, trans. Michael Chase, Oxford: Blackwell, 1995, p. 272)

われわれがここで関心をよせるのは「生存の技法(art of living)」といわれるものの具体である。この技法の要諦は「各人の生を全面的に変容する」(ibid., p. 265)ことにある。そしてこの変容は、主体・真理・倫理という三つの主題の関係をめぐる問いを提起する。すなわち、主体はみずからの存在そのものを問題視し、これを変容させることなく真理に到達しうるのか、そして主体が真理に到達したとき、主体はいかなる倫理的な変容も被ることがないのか。アドによれば、この一連の変容をひきおこすのは「精神的な修行(spiritual exercises)」であり、この「修行」の解明こそが西洋古代哲学が果たした社会的機能だという。
 じっさいにアドは「修行」を次のように定義している。

‘By this term, I mean practices which could be physical, as in dietary regimes, or discursive, as in dialogue and meditation, or intuitive, as in contemplation, but which were all intended to effect a modification and a transformation in the subject who practices them.’ (Pierre Hadot, What is Ancient Philosophy?, trans. Michael Chase, Cambridge, MA: Harvard UP, 2002, p. 6)

この定義をそのまま受け容れるのであれ修正を施すのであれ「修行」という概念に関心をあつめることは、一方で、アドが指摘するように近代以降の西洋哲学のあり方に反省を促すと同時に、他方で、哲学と宗教を分離するそれ自体きわめて西洋的な手法がその分析にはあまり有効ではない東洋思想に関する理解をいっそう深め、更には、この分離そのものを批判する——なぜなら、あらゆる宗教はこの修行と無縁ではないから——ことへ私たちを誘うのではないか。言い換えるなら、精神的ないし身体的な「修行」という人類に本来的な営為に関する諸実践・諸言説がさまざまな哲学・宗教においてどのように生成・展開したかを通時的・共時的な観点から比較思想研究の手法をもって解明することは、今日の人文学においていまだ重要な課題をなすのではないか。
 この課題に貢献すべく、本セッションでは具体的に、インド、中国、ヨーロッパという三大文化圏を抽出したうえで、まずは、個々の文化圏における「修行」という概念に関する諸実践・諸言説の特徴を、一次資料を文献学的に分析しながら剔抉する。その成果を享けて、各文化圏間における言説上の類似と相違を比較思想研究の手法を用いて描写することを目指す。「修行」とは何かを分析し定義する過程で、個々の哲学と宗教の固有性を無化することなく、しかし、東西の文化圏において独自に生成・展開したかに思われる人類の営為には何らかの接点が見いだされるのかという問いを考察するために、本セッションでは、筑波大学から儒教、キリスト教、西洋哲学をそれぞれ専門とする日本人研究者(若手を含む)、ならびにハンブルク大学とハーバード大学より仏教学を専門とする外国人研究者を発表者にむかえて討論をおこなう(文責:津崎良典)。 

プログラム:
第一部(司会:津崎良典(筑波大学))
13:30 – 13:40
Welcome and Introduction
Yoshinori Tsuzaki (University of Tsukuba, Japan)

13:40 – 14:10
The Spiritual Teacher in Tibet: 'Gos Lo tsā ba Gzhon nu dpal's (1392-1481) Assessment of His Master Vanaratna (1384-1468)
Leonard Willem Johannes Van der Kuijp (Harvard University, USA)

14 :10 – 14 : 40
Chinese Theory of Mind’s Transformation and Gottlieb Spizel’s De re literaria Sinensium commentarius
Yoshitsugu Igawa (University of Tsukuba, Japan)

14 :40 – 15 : 10
On the Place of Knowledge in Ancient Indian Buddhist Spiritual Practice
Martin Delhey (University of Hamburg, Germany)

第二部(司会:吉水千鶴子(筑波大学))
15 :30 – 16 :00
Practicing Ethics and Purifying the Mind: the 'Four Immeasurables' - an Early Buddhist Spiritual Exercise
Michael Zimmermann (University of Hamburg, Germany)

16:00 – 16:30
Thomas Aquinas and Dionysius the Areopagite - The relationship between the Creator and the Creature -
Yoko Ito (Graduate School of Humanities and Social Sciences, University of Tsukuba, Japan)

16:30 – 17:00
Diaries, Religious Experience, and Philosophical Change of Ludwig Wittgenstein
Akio Kikai (University of Tsukuba, Japan)

17:10 – 17 : 20
General Remark
Naoki Kuwabara (University of Tsukuba, Japan)

17:20 – 17:50
Closing Discussion

連絡先:津崎良典(tsuzaki.yoshinori.gn@u.tsukuba.ac.jp